日常「年明け」



毎年この時期になると家族全体が気分が沈んいてかく言う私もピリピリしていています。

比較的ネガティブで妄想が暴走しているので気持ちよく新年を過ごしたい方は読むのをオススメしません。

あと神仏を心から信仰している方には失礼な部分もあるのでそうした方にもオススメしません。

それでも読みたい風変わりで物好きな方はどうぞ。























クリスマス?年明け?いやはや全然実感ない(笑)

テレビ見ないから頭に情報が入らないからだろうか?いつもと全然変わらん……。

いや、見れないが正しいか。

年明け前という事で何か書こうと朝から考えてたけどこういう日に限って何にも思いつかん。

そして考えてたら皆にとってどうでもいいこと思い出した。

8月の終わりぐらいに腹が痛くて手足痺れて呼吸困難で意識無くなりそうになったって言ってたけど、

ここ最近になって遂に血便が混じるようになりやがった。

ご飯はお粥など消化の良いものばっかり食べてるけど何だか回復したり悪化したりを繰り返す。

……病院に行くしかないのか……。

何が嫌って受付がほぼ100%女性である事が嫌。

どれぐらい嫌って唐突に背後からロープで首を絞められた時と同じぐらいのストレス。

客が女性なら安心出来て男が客なら若くてピチピチの女を見れば喜ぶんだろうけど、

私にとっては申し訳ないけどこの世界の恐怖を具現化したような存在。

……大体こういう事を言うと同性愛者であることを疑うだろう。

だけどハッキリ言って見当違いも良いところ。

こういう回答する輩は多分「愛情」というものが無いという心境が想像出来ないから

「あるのを前提」の回答しか出来ないんだと思う。

……まぁでも人ってそういうものか。

自分に経験のない事は理解出来ずどこまでいってもその人の想像に過ぎない。

昔は私もこんなじゃなかったよ?でも人間は何かをきっかけに急変する。

だから本当に皆気をつけて欲しい。当たり前に日常にある出来事が原因でそうなる可能性がある。

何をって……具体的に説明出来たら一番良いんだけど……。

私は割りと喋るときはよく喋る人間なんだけどね、

何故か「その原因」を口にしようとすると口も思考も停止してしまう。何でだろね?

だから今だ「あの事」は家族にもまだ話せていない。

でもね、初めて「あの事」を話した。しかも家族じゃない。

その人物は出会ってから20年以上経つおじさん。

……と言っても具体的に話せたわけでなくとにかく間接的にそして質問や言及しないのを前提で。

……見ている皆は大袈裟だと言うと思う。でも、

本当に心を抉る体験は思い出すことすらも苦痛で思考を強制的にシャットダウンさせて心の形さえも変える。

でも大体の人が誰だって経験することなのに皆が私のようにならないってあれ?おかしくないか?という事に気付いた。

その分岐点は性格や気質による物もあるけどその「辛い出来事」をちゃんと解決(ケア)して前に進んだかそうでないか。

私の場合はそのケアが下手だった。人に一切頼らず自分一人でずっと考え続け悪い方へ向かってしまった。

それが大きな分かれ目だったんだと今になって思う。

だから皆「辛い出来事」を経験した時にちゃんと自分にあった方法で解決することをオススメする。

しかし昔に比べて遥かに平和になったはずなのに何を梃子摺っているんだろうなと思う。

このおじさんはギリギリ戦争体験者の人なんだけど終戦後の話を聞いて壮絶だった。

幼少の時から親にまともに育ててもらえず栄養失調で死にかけてる所を他の家に拾ってもらって育ったらしい。

働くようになってからは目の前で殺し合いがあるような職場でいつ殺されるかワカランような所。

そんな過酷な環境で生きているのに今も普通に「おう、えっちなビデオ見るか?」と言うぐらい普通。

(因みに私は人間の裸体も無理。吐き気が止まらない)






こ の 違 い は 何 だ ?






そう考えた時に行き着いた答えがやはり「信仰」

例え「存在しなかった」としても心は「存在の有無」に関係なく本人が救われたと思ったら時点で救われる。

まさに信じる者は救われる。あながち間違いではない。

もっと言うならこれこそ「知らぬが仏」なのではないだろうか?

でも今は様々な未知が解明されている。

私は人々を救う知識(現実)が皮肉にも人の夢(逃げ道)を潰したのでは?と考える。

少し前の話に戻れば昔の人たち時代のおかげで自分の心の傷のケアが上手かったんだと思う。

だから昔の混沌とした時代に比べて遥かに小さな困難に立ち止まってしまう。

勿論、言うまでもなく知識は必要。ただ今はバランスが悪いように思える。

(だからこそ今の時代にあった信仰が作られ崇められているのかもしれない)
(いつかその信仰の灯火が消えるのではないかと思うと不安で仕方が無い


……という事は神も仏も存在しないのに年明けて神社にお参りに行くのは無駄?

私はこう考える。

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精神統一や瞑想で感情を0に戻しているのでは?可能性を考えた。

「神はとても素晴らしいので信仰しましょう」とか「信じるものは救われます」

と言われても正直胡散臭く感じてしまう。根本的な理由が抜けているからだ。

(これが正解かどうか知らないが多分中身を完全に暴露してしまっては意味が無いから言えないんだと思う)

話を年明けの神社の話に戻して。

精神を統一(0の境地)にし更にそこに追加で

「良い新年になりますように」

というプラスになる意思を持ち前向きに進む姿勢は決して無駄ではないと思う。

寧ろ必要な事だと私考える。

(そして同時に私に欠けている物でもある)

図の状態が正しかったら一時的な感情のコントロールは勿論の事、これらを繰り返すことでポジティブな人格になったりしないかなぁ……という妄想。

筋肉は使わなければ衰えて廃れていく。そして使えば鍛えられ発達していく。

ならば脳も同じ体の一部なら同じように劣化も発達も表裏一体なのではないかと思った。

現に今私が困難に打ち勝てず常にネガティブ思想で被害妄想持ちになっている。

つまりそのその逆の理論である。

ポジティブな状態になればなるほどにその状態が保たれるのではないだろうか?

……という逆転の発想。




私は神仏は信じない派だ。何故なら神も仏もどこにも存在しないからだ。

存在するならこんなちっぽけな存在の論に左右されずに堂々と存在する筈。

つまり祈りは何の意味も成さない自己満足で”必要のない無駄な事”……そう考えていた。

しかし逆説的に生きるのに必死だった時代を生き抜いた先人が”必要のない無駄な事”をする必要があっただろうか?

例え神や仏がいなかったとしても手を合わせ精神を統一し「感情を0に戻す」という行為は無駄はないのではないのでは?

少し話が戻るが死者を弔うという行為は感情がある人間だからこそ必要で心をケアする上で必要不可欠なのではないか?

……と最近になって考える。

(余談だが感情豊とされるイルカも仲間を弔うような動作が確認されているらしい)





そういえば2018年の目標心療内科に行くという目的は実のところ果たした。

自分で言うのも何だけどすんごい頑張ったよ。今まで一度も書かなかったけど。

でも心療内科でも「その事」だけはどうしても口を開けなかった。

で、今ちょっと行かず仕舞いになっちゃっているんだけど薬飲みだしてからは少し表情が柔らかくなったらしい。

精神面でちょっとよくなった思ったらこの様か……時間は待ってくれないのに。

…ダメだ、心療内科行き続けなければ。もっというなら次は精神科。

ただまず今は胃腸内科。

ただ診てもらうにもあと1週間以上あるんだよなぁ……。

それまではとにかく安静にして食事も質素で消化の良いものを中心にする。

そうなるとまず餅は食べれないしおせちも無理そう。畜生。

何が原因なのか。そして一体私の腹部はどうなっているのか。

考えていても仕方ない。とりあえず病院に行かなければ……。

問題は受付をどうやってやり過ごすか…なんだよな…。











PS.年明けて10分以内にこんな所に来るなんて物好きだねぇ!!




by imori343 | 2019-01-01 02:03 | 日常